降順・昇順さえ理解できてない毎日新聞社

毎日新聞社は、約2年前までは、発刊日の日付順も、社説の上下順も、降順(コウジュン、降りる順)に揃えて独自路線を行っていたはずです。

電網版の記事の日付もゼロ埋め方式(YYYY年MM月DD日方式)に統一されていたはずです。

ゼロ埋め方式が広まり始めたのは1980年代のMS-DOSによってであり、ISOによってゼロ埋め方式が世界標準とされたのは1988年ですから、日本の公務員・報道人が既に約30年遅れの遅れ過ぎている人種であることは明らかなのですが、そういうガラパゴス化した日本国内の中にあっては、毎日新聞社は少しだけ進んでいるほうでした。

少なくとも文明不要論が公然と語られる中で、毎日は読売と並んで電網版では少しは論理性・柔軟性があることを示していました。

ところが、硬直的で頭の悪い画一主義・全体主義・封建ファシズム奴隷かつ物真似主義の役員・論説委員編集委員・メディア部門従業員が多数派になってしまったためか、降順が伝統だった社説の上下順が、読売や朝日を真似したくてしようがないのか、ここ2ヵ月、あべこべに昇順が大半を占めるようになってしまいました。しかも、降順・昇順は日によってばらばらなままです。

記事の日付も、
・ゼロ埋め方式(YYYY年MM月DD日方式)
・ゼロ省き方式(YYYY年M月D日方式)
が混在しまくりで、ここ2年はみっともないWebページのままです。

Webページでは、時刻がゼロ埋め方式である以上、日付もゼロ埋め方式にするほうが賢い感じがするし、少なくともその方が合理的で筋が通っているという事が余りにも自明です。

よほど頭悪くない限り、日付をゼロ埋め方式にすることに選択の余地はないはずです。事実、Yomiuri on line でさえ、当たり前のようにやっています。

毎日新聞社は、いつになったら、毎日としてのまともな独自路線(日付順も社説順も降順、日付は少なくとも電網版はゼロ埋め方式)で(再)統一するのかと思っていたら、自分たちの存在意義をとことんゼロにするような間抜けな方向へ無理やり舵を切ろうとしている人たちばっかりが全く分不相応に権限を持ってしまったようです。Sad!

加えて、というより、これが購読者として最悪の問題なのですが、違憲無効立法が違憲無効立法であることに何としても触れないでおこうとする病的な臆病さ・病的な狡猾さ・病的な不誠実さ、あるいは、報道人大失格の無神経さ・低劣さ・思考停止状態という大問題があります。。

ゴミ売りは、ゴミをゴミと気付かない読者層、即ち、江戸時代の封建ファシズム奴隷をいつまで経っても卒業できる見込みすらなさそうな連中のためのオナニー的な偽保守ファシズム新聞に過ぎません。少なくともここ20年は。

読売は、
朝日・毎日等が(たぶん明治の頃から)余りにも偏向し続けているために遅くとも1970年代までにその地位を確立できたに過ぎません。その後は、報道という仕事を自ら履き違え、国民や政治家にも勘違いさせ続けている元凶でしかありません。ゴミ売りぶりを、海外等の取材力、というより記者の多さでもっともらしくカバーしているに過ぎません。

朝日、中日新聞東京新聞は、
一般的に、日本版左翼イデオロギー新聞のような存在と勘違いされ続けて来たようですが、今やその実態は偽リベラル・偽護憲・破憲をいつまで経っても卒業できない人たちによる誤誘導新聞であることが明らかです。

彼らは、逆恨みや悪平等主義、ケチを付けるためにケチを付けることを「ジャーナリズム(日誌激白主義)」「民主主義」「報道」と勘違いしてしまっているので、いつまで経っても民主国の主権者として具体的な政策を提言しません。即ち、彼らは、あの駄目な旧民主党や現民進党よりも更に駄目な、ただの悪口路線を死守しているわけですから、日本人の健全な民主主義や健全な法の支配や健全な法的確証性に貢献し得るはずがありません。

問題の毎日新聞は、
何と、ここ数年、これら両者の駄目なところばっかり真似したがっているように見えます。

存在価値ゼロの新聞社として廃社・解散するか、あるいは、存在価値ゼロになりきらないうちに他社に従属的に吸収合併されてしまうことを望んでいるように見えます。

中村秀明氏や大村治子氏のお陰で、毎日新聞社はかろうじて持っているようなものです。

今の日本の報道人全体の駄目っぷりから考えれば、違憲無効なものを片っ端から『これこれこういう理由で違憲無効であると言わざるを得ない』と述べるだけで、素晴らしい独自路線となり、購読者数も確実に増えるはずです。

また、他社が日付順が降順なのに社説順を昇順にしているところを、日付順も社説順も降順に統一して独自路線を華麗に歩んでいれば、それだけで読売や朝日よりも頭のいい人たちがいる新聞社ということになります。ならざるを得ません。

自社がかつて採用していた賢い独自路線さえ、愚かな物真似主義・全体主義・画一主義で捨ててしまう余るにもバカ過ぎる毎日新聞社に一体何の存在意義があり得るのでしょうか。

ここ5年間、社説の内容が悪過ぎて悪循環に陥り、独自路線を片っ端から捨てれば悪循環から脱することができると更なる勘違いをしてしまい、末期的な悪循環に陥っているように見えます。

毎日の社説やオピニオン記事の内容を良くするためには、朝日や読売の社説がいかに非建設的な駄目な社説であるかを(匿名の)twitterで実際に建設的に批判できるようになることが必要です。それが最低限の必要条件です。

それすらできないのであれば、毎日新聞社は物真似主義・全体主義・画一主義・無責任・悪平等主義・逆恨みばっかりの不要な新聞社ということにならざるを得ないでしょう。そういう元凶となっている記者、特に読売化(ゴミ売り化)している記者は、役員であろうが論説委員であろうが編集委員であろうがさっさと切るべきです(今の論説委員ほぼ全員と山田孝男とか)。

が、もっと深刻に見える本質的な問題があります。

毎日新聞社だけ、少なくともここ2年、自社の社説の順番をルーティン・ワークとして同じ統一基準で並べることさえできていないという大問題です。

どうして自社の社説を同じ統一基準で並べることさえできないのか。
何というサービス精神の無さ・・。
何という思考停止状態・・。
何といういい加減さ・・。
何という出鱈目さ・・。

あり得ないことになってしまっている以上、毎日新聞社だけ、独立した報道機関として必要不可欠な独自性を出すという意味も兼ねて、印刷板も電網版も社説全てに「上段社説」「下段社説」あるいは「一本社説」あるいは「冒頭社説」という風に明記すべきです。勿論、過去の社説につても。

「毎日は朝日・読売などとは違う」と言い得る根拠と社内風土を人為的に作らない限り、役員・論説委員編集委員の愚劣で硬直した敗北主義のために廃社一直線のように見えます。

毎日新聞の電網版での社説の並べ方がいかに常軌を逸しているかは以下で明らかです。

曜日あり_降順・昇順の違いぐらい認識しろ!毎日_.xlsx
https://drive.google.com/open?id=0B3K5mvqYTsGXZURWYUZQUl9DSVE
(曜日の"aaa"の部分は、「Googleスプレッドシートで開く」を触らず、下矢印マークからExcelファイルのままダウンロードして開くと、曜日として正しく表示されます。)